参の巻 | ||
●千社札「せんしゃふだ」 “せんじゃ”と濁音入れて読みたくなりますが、そこは江戸なまり?というのでしょうか「せんしゃふだ」とあっさりと言っています。 社寺の柱、扉、天井などに自分の姓名・雅号などを木版刷りした札のことで、それを霊場に詣で張り行くのが流行り始めたのは江戸の天明から寛政(1781〜1801年)の頃の「稲荷千社詣り」が流行りだした頃での事のようです。 千社札の流行に拍車をかけた人物と言えば“題名納札中興の祖”とうたわれる天愚孔平(てんぐこうへい)です。 本名、萩野喜内信敏といい雲州松平家の家臣でした。 松平家の不昧公とその弟君駒次郎が疱瘡にかかり、主君の命により伊勢・多賀両社および武州疱瘡神へ疱瘡送りの札を納める事を仰せつかったのが札に興味を持った始まりといわれています。 その後、宗門奉行神掛御頭役となり「鳩谷天愚孔平」と題名し江戸の町中より近郊まで神社仏閣へ参拝して張って歩き、それが江戸庶民に流行した発端です。 一般的に千社札というと、細い枠2本の輪郭をかたどっているものを思い浮かべると思います。その枠の事を「子持ち枠」といい、紙と枠の大きさにも一応決め事があります。 紙の大きさは大奉書という和紙(39.5cm×53cm)を裁断した大きさが基準になっています。 大奉書を16裁断したものを1丁札といい、8裁断を2丁札、4裁断を4丁札、2裁断を8丁札、そして全紙を16丁札と規定しています。 子持ち枠の寸法は、太枠の外側が4.8cm×14.4cm、横縦の比率が1対3になっています。 《種類》 千社札には2つの札種があり、1つは木版摺り墨一色の「貼り札」。これは山門や社堂に貼って、札が剥がれ落ちるまで自分の代わりにご本尊と結縁してくれる、これが「貼り札」です。 2つめは多色摺りの「交換札」です。これは千社札の好きな者が年に何度か集まり、新しく作らせた自慢の色札を交換し合うときに蒔く札のことをいいます。 この小さな札のなかに個々が工夫し粋さや個性を出す遊びなのです。 連札と言い、仲間など大人数で4丁や8丁の大きさの札をそれぞれ題目をたて出すものもあります。 《貼る》 貼り方は、まず訪れた寺社で浄財を喜捨し、納経・奉拝を済ませた後、住職や神主さんに“札を貼らせて頂きたい旨”を伝え許可を求めます。 許可が得られたら寺社の一番目立つ、高い所に貼ろうと皆考えます。 人が見て一番目立つ所、人の目に付く所なので「人見」(ひとみ)といい、まずココをねらうようです。 貼る場所が決まったら、まずその場所に永年溜まったススホコリを払う為の掃除用のブラシ(夫婦刷毛)を付けた振り出し竿で綺麗に丹念にススホコリを取り除きます。 そして、振り出し竿を元に戻し、今度は蝶番の付いたブラシ(夫婦刷毛)に付け替えます。 札は裏面全体に糊を糊用の小刷毛にて丁寧に塗ります。 この糊はアラビア糊でも良いのですが、個々に他の糊を混ぜるなどして色々と工夫をしているようです。 昔は続飯(そくい[飯粒を練って作った糊])を使っていたようです。 札に糊が染み馴染んだら、夫婦刷毛に付いている蝶番に札を噛ませ竿をソロリソロリと伸ばし、先ほど綺麗に掃除した場所に心を込めて真っ直ぐと貼ります(斜に貼るのは腕がない証拠です)。 そのとき、絶対にやってはいけないことは、他の人の札に架かって貼ってしまうことです。これは絶対に御法度です。 |
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現在の神社仏閣には「千社札禁止」というところがほとんどであり、信仰である「札を納める」ということなど忘れ、単に自己宣伝としか思われないほどに、所かまわず貼るなどが原因のようです。 現在では、化学糊を使ったシールがあたかも千社札であるかのように振る舞われ、目を覆いたくなるような神社仏閣もあります。 参拝もせずにただ札を貼るなどもってのほかであり、札を貼る事、すなわちご本尊と永久の結縁を願う心から生まれた納札を原点にしなければいけないのです。 資料:若千睦、浅公ブリ圧 |