弐の巻 | ||
節分浅草寺古式追儺式 節分とは1年の春夏秋冬の季節を分ける言葉で、本来4回あるはずですが、現在では立春の前日のみをさしています。 旧暦では「立春正月」といい、一年の始まりを立春付近に求めその前日は1年の最後の日という意味合いを持ったと考えられます。 節分の説としてちょっと難しくて解りづらいですが、陰陽道の暦に基づいて、旧年の大晦日と新年の元日の狭間には、時空の“鬼門”が発生すると考えました。それが新暦の2月3日夜というわけです。 ですのでここで鬼を排除する必要(追儺)があるのです。 節分には煎った大豆を打って、邪気を払う(追儺)としたのは、火で煎った豆には「邪気を払う力」があると考えられており、その豆を鬼門の方角にまくことで邪気を払い福を呼び込めると考えたのでしょう。 日本では室町時代頃からといわれています。 そしてその節分をどこよりも、一般庶民に広く大規模に行った寺院は浅草寺が最初であり、その大規模さは“江戸名所図絵”にみられるほどで、たいへんな人出だったようです。 その特徴は 「節分般若心経日数所」と記された切紙のお札を1万枚作り、そのうち3300枚を、節分会の法要終了後、本堂外陣の東西の柱に棚をつって譜代(三社権現の子孫)がそこから節分と書いた大団扇であおって撒く行事でした。 そのためこの札を手に入れようと信徒が堂内に満ちて、大変混雑したといわれています(明治時代に危険ということで中止されました)。 現在では、一般信徒の有志が年男となり、午後1時と2時の2回に分かれ、行列を作って伝法院より進行し、法要終了後、本堂東側回廊の外につくられた舞台で豆撒きをおこなっています。 ●可愛い豆まき 浅草寺では可愛い豆まきもあります。それは浅草寺が運営する浅草寺幼稚園園児による豆まきの事です。 2月3日の節分には、その日の為に園児自身が製作した黄色紋付きを羽織り全園児により浅草寺正面より豆まきをします。「オニはそと♪福はうち♪」の歌声と共に園児による豆まきは可愛い一色で、参詣や観光の方々の名物でもあります。 |